2024年のノーベル平和賞は核兵器の廃絶や被爆者の救済を訴える活動を続けている日本原水爆被害者団体協議会が受賞しました。そのニュースをラジオで聞いていて、2年前に家族で広島に行ったことを思い出しました。ウクライナでの戦争が始まった年です。
2022年8月5日。東京から空路で広島に入りました。翌8月6日の平和式典に出席するためです。正確に言うと、式典に参加できたのは中学1年生の娘だけでした。私たち夫婦は式典参加の抽選に漏れ、会場正面の交差点で、スピーカーから聞こえてくる式典の様子に耳を傾けていました。セミの大合唱と、拡声器を使ったデモの大音量で聞きづらかったですが。
この年の式典は、ロシアの核兵器使用の恐れの報道がちらちらあった時期で、国連の事務総長が12年ぶりに出席することもあり、例年より多くの式典参加希望者がいた気がします。
広島行きは、親が連れて行かない限り、娘の学びの時期に行く機会がないのではないか?と思ったことが始まりです。私自身、平和学習の一環として、小学校の修学旅行で広島、中学で長崎、高校で鹿児島を訪れています。娘も平和学習でいくのだろうと思っていたのですが、小中では行かないとのこと。東京出身の妻も平和学習とはなんぞや。という感じだったので、夏休みを利用して、家族で広島へ行こうという事になったのです。
式典の後に平和資料館を訪れました。私自身は小学校以来の訪問で37年ぶり。当時は11歳か12歳。展示を直視できないほどのショックを受けた記憶があります。実際、何人かの同級生の女の子は引率の先生に抱えられて泣きじゃくっていました。資料館の案内看板には核兵器の恐ろしさをよく知ってもらうために凄惨で目を背けたくなるようなむごいと感じる展示がありますの旨。当時から建物も展示自体も変わったとはいえ、見学する娘はまだ中学1年生。ショックは大きかろうと思い、娘の後ろに控える形で展示を見てまわりました。時々、心配になり「大丈夫?」と声をかけながら。
広島と言えば、車のマツダ。野球のカープ。
マツダの工場見学にも行きたかったのですが、あいにく予約が取れず。そこで新しくなった広島市民球場であるMAZDAスタジアムへ行ってみることにします。今日はこれからホームゲームなのか、スタジアムに近づく程に赤色のカープファンらしき人たちが増えてきます。しかもお年寄りから子供までファンの幅が広い!カープが市民球場、市民球団と言ったものだなぁと感じます。
球場近くのカープ色に染まったローソン。驚きました。
広島市内を離れて、呉方面、次の目的地への大崎下島に向かいます。広島の呉という場所は「まるいし」のルーツだと聞いていたので、どういう所か興味がありました。広島近辺の山陽地方で「丸石」という苗字が比較的見られるのも、何か縁があるのかもしれません。
今回の広島訪問は平和学習が主な目的だったので、終始、言葉少ない娘でしたが、何かは感じ取ったようでした。平和資料館で「大丈夫?」と声をかけたときに、落ち着いた声で、しっかりと「大丈夫」と言って、展示から視線を外さなかった娘。それ以上、声をかけることがはばかられるような雰囲気があったのですが、その背中に成長を感じました。