福島第1原発から自主的避難地域に入っている福島県いわき市久ノ浜町から南へ四ツ倉、平、豊間、小名浜、勿来(なこそ)と 福島県浜通り地域を南下。個人的には 4月17日の時点で いわき市の海側の避難所に関しては 個人レベルでの物資の持ち込みは必要とされていないほど 行き渡っている感じを受けました。原発に近く、最も物資を必要とされていた避難所でも必要とされているものは足りており、近所のコンビニも開店し、商品は揃っておりました。 同じ市内での避難所同士、物資の融通や情報のやり取りは無く、全国からのボランティアの方々も受付対応に入っている状態でした。
いわき市内で被害の大きかった久ノ浜町久ノ浜地区。「地震、津波、火災、放射線の4重苦地域だ、テレビも報道しねいし。」と片付けにこられていた方は自嘲気味に話されました。多くの方は水一本に関しても「他の方にどうぞ。」 「いやいや一本だけでいいです。」 「申し訳ない。」中には「おいくらですか?」 という方もいらっしゃいました。写真では伝わらない匂い。海の匂い、土埃の匂い、木や鉄が焼けた匂い、腐臭。ここではとても書けないような 命を落とした方々の話。
「おっ!ビールもあるじゃねぇか。」 「ウエットティッシュ、これ頂戴よ!」多くの方は 皆さん前向きでした。阪神大震災で神戸市中央区に入った時、ボランティアを統括していたNGOの人から言われた、ボランティアは自分にゆとりがない人はやってはダメ。親切の押し売りになり、相手の迷惑、負担になるだけ。という言葉を思い出しました。個人レベルで感じた無力感はどうしようもないですが、次に無理なく続けれられるお手伝いを どういう形でできるかは、課題となりました。