福島県南相馬市。 相馬野馬追祭(そうまのまおい)。相馬という場所は、鹿児島、島津氏の薩摩藩と同様、古くからその地に土着し、幕末まで、領主が相馬氏だった。苗字が変わらなかった。という数少ない土地柄。また、奥州藤原氏の時代から、東北一帯は馬の一大産地だったため、徒歩ではなく、馬に乗って戦闘する騎馬技術に長けた土地でもありました。馬を駆って戦闘するということは、長距離を走り、短時間で、敵を攻略することができます。馬上で刀を振るい、槍を持ち、弓を引き、鉄砲まで撃つ、ということは、人馬一体の伝統が根付いていないと、到底できないはずです。信長も秀吉も家康も徒歩の文化圏の人々だったため、彼らからすると、騎馬武者を大量に投入でき、錬度もよく鍛えられている彼らと敵対するのは相当脅威だったはずです。戦国時代、小国の相馬藩のまわりで起こる各藩との騎馬での戦闘は、お互いを切磋していったことでしょう。その結果が平成のこの現代で、神事として未だに残っているのはその凝縮されたエキスと思えます。
毎年夏になると、戦国期の甲冑を身に着けた、騎馬武者が全速で走る姿は、ニュースでよく見かけていました。ただの行列が、練り歩くだけではない、この神事を今年はこの目で見たいと思いやってきました。福島市内から車で、2時間ほど。山中を越え、ひと気のない飯館村を抜け、南相馬市に入ります。本来なら、常磐自動車道でくる方が早いのですが、現在まだ、南相馬市の手前で通行禁止措置がとられているためこのように迂回しないといけません。
昨年は震災の影響で、馬の乗り手の犠牲者も多かったことなどもあり、かなり規模が縮小されての開催でした。今年、騎馬武者が疾走する会場の祭場地は、できうるかぎりの除染をしています。との告知がありました。なんだか、ここまでやらないといけないのかと、キリキリする思いになります。甲冑競馬や神旗争奪戦に出てくるのは、20代の若い人達が中心という感じです。中には高校生ぐらいの子も!「しっかりナ!」と、観客の方々から声が飛びます。「昔は喧嘩で、取っ組みあいして勝負決めてたよ~。」と地元の方。「みんな、酒入ってっから、揉め事あっても止まらないさ~」とも地元の方。
行って、見て、思いました。騎馬に乗って雄たけびを上げている若武者の姿を見て。きっと、これが本当の戦場でも、馬に乗って行くんだろうなと。 馬にまたがって走ると、アドレナリンが全開になり、恐怖の感覚が麻痺するんだろうなと。
祭りが終わり、各自、自分の馬を厩舎に戻す姿があちこちの道路で見られるのですが、公道を、車が行きかう中、甲冑から着替えて、帰り支度になった騎乗の若者は、鉢巻きにたっつけ袴という姿。中にはピアスにTシャツ、ジーパンという いでたちで悠々と馬に揺られている若者もいます。その姿をみて、頼もしく、カッコよく、嬉しい気持ちになりました。