幕末、黒船来航があって以来、近代日本の造船はここから始まったであろう場所。旧浦賀ドック跡にやってきました。黒船来航が江戸末期の1853年。蒸気船をはじめて見て、おったまげて、その後、見よう見まねで蒸気船をつくるところから初めたことを考えると感慨深いです。
さて、浦賀からある場所へ向かうことにします。歩き始めてびっくり!なんて起伏の多い場所!平板の地図では、土地の起伏まではわからず。崖から崖を上り下りするような感覚です。
ひとつ目の目的地。
浦賀を見下ろすような場所にたっている防衛大学校。自衛官の幹部候補生を育成する学校です。ここを受かっていれば、今は建築をやっていなかったと思います。受験当時は高校生で大阪にいたので、中部方面隊の伊丹駐屯地で試験を受けました。1次試験は理数系の筆記。1次が通った後、2次試験は小論文と面接でした。面接でどんなことを話したかはもう忘れましたが、4名の制服を着た年配の自衛官の方々で、その景色は今でも覚えています。当時の自分は相当緊張していたんだと思います。
ふたつめの目的地。
旧横須賀造船所。現在の横須賀基地界隈にやってきました。写真は船をつくるための巨大なスチームハンマー。1865年に江戸幕府がオランダから輸入した。と説明があります。これを購入して、船を作って、日本を近代化させるんだ。と考えた人たちが幕府の中にいて、それを実現させる実務方の優秀な官僚がたくさんいたってことですよね。1865年前後は長州征伐やらで幕府内は大変な時だったのに、内部ではこういうことも進めていたんですね。
1/100スケールの戦艦陸奥の模型。軍艦の設計者で有名な平賀譲の手により設計され、ここ横須賀で造られ、戦時中に瀬戸内海で謎の爆沈をした船です。戦後、海に沈んだ船体の一部が引き上げられ、船に使われていた鉄が、放射性物質を含まない、戦前物だったことから、ごく微量の放射性物質を測定するときに珍重される「陸奥鉄」として、原子力関係の進展に寄与したそうです。
海上自衛隊の護衛艦。3代目「てるづき」
現代の軍艦は 事前に探知するレーダー技術の進歩もあり、そもそも敵の弾が当たらない前提で造られているようで、鉄の装甲も薄いようです。船の動力であるガスタービンエンジンも小型化、省力化しているとのこと。ただ、軍艦自体が秘密の塊ですからなにが本当かどうかはわかりませんが・・(笑)
黒船来航が江戸末期の1853年。100年や150年で造船・操船先進国とよばれる地位を築くようになったことを振り返ると、三度、感慨深いです。「失われた20年」という言葉がありますよね。それでも・・・いつまでたっても、警戒される国である。という事実は、「スイッチが入ったときの爆発力」が、ひとつあるのかもしれませんね。