兵庫Ⅱ 丹波篠山

やってきました。丹波篠山。いい響きです。

ソラダキで使う予定のきな粉。そのきな粉にする大豆をこだわっている。ということをある方とお話ししていた中で、世に出ない丹波の黒豆をつくっていらっしゃる農家の方を紹介していただけるという大変ありがたいお話しを頂きまして、東京から京都、京都からここ丹波篠山までやってきました。

丹波篠山といえば、京都の奥座敷というイメージです。京都から、日本海側の北西方面に山を越え、明智光秀がおさめていた丹波亀山、現在の亀岡市の先に位置しています。どうやら京都の入口、山陰道の始まりの場所だったので、信長の時代から江戸時代、明治の時代が始まるまで、地理的に大変重要視された場所のようです。現在の篠山市は市町村合併により、近郊の町が集まり、市となっています。いまでも篠山から近い、南丹市の美山町には茅葺の家々が保存地区として整備されていますが、篠山も自分が子供のころは、まだ普通に茅葺の家々が普通に建っていた記憶があります。

まずお城に行きます。篠山城。城郭は残っていませんが、石垣の周りをまわる外堀が、気分をワクワクさせてくれます。築城の名手と言われた、藤堂高虎という非常に世渡り上手だった武将がいたのですが、彼が頭になって設計をし、一年(!)の突貫工事で完成させた。と説明書きにあります。重機がないご時世で、この巨大建造物を1年で完成させてしまうという、人力の崇高さと、それをまとめる現場監督がいかに優秀だったかがわかるというものです。

篠山市篠山伝統的建造物群保存地域。お城を中心として 旧武家町が西側に、旧商家町が南側に位置しています。城下町なのですが、名ばかりの城下町が多い中で、ここ篠山の城下町は、都会からはずれた里山にあるということもあるのでしょうか、手が付けられていない感じがとても心地がいいです。商売をされている方々、ぜんぜん商売っ気がありません(笑)何軒か、骨董屋さんに入っては出て、次の目的地、立杭焼(丹波焼)で有名な焼き物の里にに向かうことにしました。