猿島。横須賀から船で10分ほどの、東京湾に浮かぶ自然島。東京湾要塞。けっこう興味をそそられる名前です。「要塞」。いまの日本では聞きなれない言葉で、そんなものがどこに?という感じです。東京がまだ江戸だったころ、鎖国をしていた幕府の元で、外国船の侵入を防ぐために全国初の台場(大砲をすえる台)がつくられ、要塞島としての歴史が始まりました。その後、明治から昭和の終戦まで、東京の海を守る第一線として使われ、その遺構が現在まで現存しているとの事。写真のレンガ積みのトンネルは明治17年までに建造されたもので、この積み方の建造物は全国で4件のみ確認されているようです。120年たっていますが、このレンガ、ちょっとやそっとの外力にはビクともしない。という風格がありありとでています。
この猿島要塞。実際はあまり活躍できなかったようです。建設当初の仮想敵は 鎖国をおびやかす異国船。そして清。今の中国。その後にロシア。そしてアメリカ。いずれも船に対してで、飛行機が現れてから、動けないという要塞の特性上、活躍は無理だったのでしょう。たった120年ちょっと。と言えると自分は思いますが、仮想敵としていた国々は今や日本にとって どの国との交流も、切っても切れない関係になってしまいました。今の日本での仮想敵は 巨大地震の発生のメカニズム、将来が誰にも見えない放射線の実態。そしてこれから迫りくる現役世代減少の社会です。現役世代減少が招くさまざまな弊害にたいして、建築を生業にしている自分がどう生き残っていけるか。最近の自分の中でのテーマなのですが、今日ここに来て、ゆっくりそれを考える事ができました。自分も要塞のように、時間とお金をかけて作っても、力を発揮できないで取り残される、過去の遺物にならないようにしなければと。